奥様を亡くされた男性の方は、食事作りが大変なのではないかと思います。
奥様がいらしたときは旦那様のために、いろいろ工夫して、手間もかけて、旦那様好みのおいしい料理をつくってらしたのではないかと思います。
だからひとりになった旦那様が毎日お料理をするときは、奥様がいらっしゃらないことを実感してしまいそうです。
そこに慣れない料理へのイライラが加わったりすると、本当につらそうです。
食事作りは毎日のことなので、どうか無理をしないで、楽をしてくださいね。
パートナーと死別した後、パートナーがやってくれていたことを自分でやらなきゃいけないですよね。
ほかにもやることがたくさんあるのに、初めてやることや、わからないことをやるのは時間もかかるし本当に大変だと思います。
でも、ひとつひとつやっていくしかないのでがんばりましょう!
Contents
私の場合、夫が担当してくれていたのは、車関係やデジタル機器周りの設定です。
車の点検、タイヤ交換、そのほかに気になることがあるときなど、車関係のことはすべて車好きの夫がやってくれていました。私はガソリンスタンドで給油するぐらいでした。
デジタル機器周りのパソコン、スマホ、Wi-Fi等のデジタル機器系設定もすべて夫におまかせでした。
夫との死別後、車もデジタル機器系の設定も自分でやらなきゃいけないのですが、
わからな過ぎて、泣きそうです。
車関係ではこの間、ガソリンスタンドでタイヤのヒビを指摘されて、
タイヤ専門店に電話をかけてめんどくさそーに対応される
→ へこたれてしまったのでオートバックスに行ってみる
→ タイヤ専門店より1万円ぐらい高めの値段オートバックスで交換する
ということがありました。
デジタル機器まわりではプリンタが壊れかけているので新しいのを買ったのですが、ネットワークがわからなくてまだ接続できずにいます。
慣れない、わからないことをやっていると、
わからないよ!キーッ!
これは峰雄さんが死んじゃったからだ!
もうできない!もういやだ!
となって泣きそうです。
奥様を亡くされた男性の方は、食事作りが大変なのではないかと思います。
奥様がいらしたときは旦那様のために、いろいろ工夫して、手間もかけて、旦那様好みのおいしい料理をつくってらしたのではないかと思います。
だからひとりになった旦那様が毎日お料理をするときは、奥様がいらっしゃらないことを実感してしまいそうです。
そこに慣れない料理へのイライラが加わったりすると、本当につらそうです。
食事作りは毎日のことなので、どうか無理をしないで、楽をしてくださいね。
わからないことをやらなきゃいけないのは、気分が重たいです。
なので、1週間にひとつでいいので、やらなきゃいけないことに手をつけるようにしています。
何かを始めるときには
これをやったら、すっごいスッキリするねーとか
楽勝だね
とか言いながらやっています。
そして終わったら、お疲れ様のスイーツです。
今はハーゲンダッツがお気に入りで、ハーゲンダッツ欲しさにめんどくさいことがいろいろできています。
ありがとう、ハーゲンダッツ! ありがとう、ラムレーズン!
未亡人になったあと、しばらくは悲しすぎて結婚指輪がつけられませんでした。
今は、大好きな指輪を右手にできるようになりました。
Contents
夫と死別したあと、指輪がつけられなくなりました。
私は指輪が大好きだったので、プレゼントにときどき夫に指輪を買ってもらっていました。誕生石の指輪や普段使いのダイヤモンドの指輪、節目となる結婚記念日に買ってもらったものなど、全部お気に入りでした。
結婚指輪は結婚した時に買った指輪を夫が無くしてしまったので、新しくペアで買いました。ふたりでいろいろな店で見て、ダイヤモンドが並んでついている、本当にお気に入りの指輪を買いました。
[KASHIMA]KASHIMA K10WG 0.03ct ダイヤモンドリング 10
でも2度目の結婚指輪を買ってから、1年もしないうちに夫はいなくなってしまいました。
まさかそんなに早く夫と別れることになるとは思っていませんでした。
指輪を見ると悲しくてしょうがないのと、やけになって捨ててしまいそうだったので、しばらく指輪は全部まとめてクローゼットの奥にしまっていました。
少し時間がたってから、やっぱり指輪が好きだったので、ひとつだけ指輪を出してみました。誕生石の指輪です。
小さめの石のファッションリングなので、未亡人ということを意識せずに普通の指輪としてつけることができました。
指輪をしまってしまう前、ダイヤモンドのファッションリングをしたことがあります。
その時期はテレビで花火の映像を見ては夫とはもう見れないと思って泣いて、街のイルミネーションを見ては、やはりもう一緒に見れないと思って泣いて、
光るものって涙腺に来るなぁ
と思っていました。
光るものが涙腺に来るのはダイヤモンドも一緒で、晴れた日に外で指輪を太陽の光にかざしてキラキラするのを見ると、夫と一緒にきれいだねと言って見ていたのを思い出して、辛くなって泣いていました。
しばらく光るものって、見ない方がいいみたい
誕生石の指輪を抵抗なくつけられるようになってから、結婚指輪を出してみました。
いつもしていた左手の薬指にしたのですが、違和感がありました。
未亡人であるのに結婚指輪をしているのは、自分が
終わってしまった結婚生活にすがっている、前を向けないでいる
ということの象徴のような気がしたからです。
未亡人になった方で、旦那様が大好きでずっと結婚指輪をしている方もいらっしゃると思います。前を向きながら、そうしてる方は素敵だと思います。
でも自分の場合は、幸せだった思い出から抜け出せない人のように思えました。
あるとき左薬指にしていた結婚指輪を右手にしてみました。それまで利き手に指輪をするのはいろいろやりにくそうで抵抗がありました。
右手に指輪をしてみると、やっぱり手を使うときに違和感があって、ちょっとばかり邪魔でした。
でも、急に気分が切り替わって、新しい自分に向かっていけるような気がしました。
右手の指輪に向かって、言ってみます。
君はもう、ただのファッションリングだね
でもダイヤモンドたちはそんなことは気にせずに、キラキラと応援してくれているようです。
新しい毎日を、がんばってね!
最近、ダン・アリエリーさんの本をよく読んでいます。
お金を使うときの心の痛みとか、みんなちょっとずつズルをするとか、面白いです。
ダン・アリエリーさんの動画もときどき見るのですが、今回はその中から他の人との対談中に出てきたお話を紹介します。
Contents
ダン・アリエリーさんは心理学、行動経済学の教授です。
本も何冊かあって、内容は人間は不合理だというものです。
前に書いた記事でも少し紹介しました。この記事です。
今までの選択は間違っていない - 未亡人チカの自活ダイアリー
TEDでもいくつか話していて、やっぱりおもしろいです。
TEDで話しているのを見ると、ダン・アリエリーさんはとても楽しそうな人なのですが、若いころ大変なやけどをして入院を経験しています。からだの70%以上がⅢ度熱傷となったそうです。その上、やけどの治療の輸血のためC型肝炎になって、その治療でも大変な目にあっています。
いろんな本にダン・アリエリーさんがやけどで入院中のやけどにくっついている包帯を看護師さんがはがすはがし方についての話がでてきます。
ダン・アリエリーさんが人間の不合理について考えるきっかけになったできごとなのですが、想像しただけで強烈に痛そうです。
まだやけどの後遺症があるそうですし、顔の右側はやけどでひげが生えていません。
左側だけひげを生やした状態で講演している動画もあります。
そのダン・アリエリーさんが、歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリさんと対談している動画をご紹介します。
先に言うと、この動画は他のところはあんまり面白くありません。5分12秒あたりから見れば大丈夫です。
この対談の中で、ダン・アリエリーさんは四肢マヒの障害者と関わった時の体験を語っています。
四肢マヒの障害者で諦めてしまう患者と諦めない患者、何が違うかというと、
諦めない患者は「生きる意味」について深く考えない
と言っています。
こうも言っています。
彼らは日常の困難に頭を使う
「生きる意味」などという大問題よりも「日常の困難」のほうが取っつきやすい
その困難というものの例が大変だなあと思うのが、四肢マヒの人が床に置いてある服を45分かけて着るというのです。
45分以下で服が着れると達成感を感じ、45分を超えるともっと上達しようと思う
これってすごくないですか?
昔は簡単にできていたことが簡単にはできなくなった。
でも上達しようとしている。
私なら何度かんしゃくを起こせばそういう心境になれるのかわかりません。
この動画を見て、 「生きる意味」というものを考えるのは止めようと思いました。
普段ときどきこのことばがぽっと浮かんでくるのです。
でもこれからはそういう時は、「自分の日常の困難」について考えようと思います。
きっと、
45分以内で方向が見つけられそうな「日常の困難」がたくさんあると思います。
その困難に対応すれば、もっと立ち直れそう!と思います。
ダン・アリエリーさんの本です。
この本も面白いです。環境を変えることの大事さがわかります。
夫との死別後、いつも夫と暮らしていた部屋でひとりぼっちになってしまってとてもつらかったです。
ペットを飼って寂しさを和らげられたらと思ってます。
Contents
夫がいたときは普段同じ部屋で過ごしていました。一緒にテレビを見たり、それぞれが違うことをしたりして、普通に暮らしていました。
それが夫がいなくなってしまって、
ガランとした部屋でひとりで過ごすことになりました。
ひとりだと静かすぎるのでテレビをつけると、今度はテレビの内容が元気すぎて、かえって疲れるかんじでした。
部屋にひとりでいるのになかなか慣れることができなくて、
何か生きているものにいて欲しいな、ペットが欲しいなと思うようになりました。
切実に、何か生きているものに身近にいて欲しかったのです。
ペットが欲しいなと思っていましたが、犬や猫はまず無理だと思いました。
自分が夫との死別から立ち直っておらず体調がいまいちなときも多いのに、飼ったこともない犬の散歩や、猫の世話は絶対無理でした。
そうこうしているうちに、テレビドラマでセキセイインコが出ているのを見ました。
黄色とブルーのセキセイインコでしたが、とってもきれいでした。
もともと鳥は足がちょっと苦手だったのですが、
セキセイインコ飼いたいな、きれいでかわいいし、しゃべったり歌ったりするの楽しそう
と思いました。
それで本を買って勉強してみました。
この本です。
鳥、かわいいですね。
でも、結構しゃべるんですね。
飼い主にかまって欲しくて、結構大声で呼ぶという。。
ちょっとこれは厳しそうだな、と思います。
普段何気なく話していることを覚えて話されても、ちょっと困りますね。
静かにしてほしいときに、黙ってもらえないんですよね。
ということで、じゃあ、文鳥はどうなの?
と思っているところです。
文鳥もかわいいですよね。
でも、文鳥もしっかり相手をしてあげないと寂しがってだめみたいです。
鳥はもともと集団行動なので、1羽だけ飼ってあまり相手ができないと具合が悪くなってしまうそうです。
自分が寂しいから鳥を飼っておいて、でも相手ができないのでは自分の寂しさを鳥に押し付けてるということになりますね。
仕事が忙しい時もあるのでそんなに相手ができないかもしれないなぁ。
しょうがないから今はyoutubeや、職場の窓のそばの木に飛んでくる鳥を眺めて楽しんでいます。
なんとか工夫して、文鳥が飼えるようになりたいな。
夫が急死してしまった後、どうしてこんなことになったのか、何か間違えたのかと考えることがよくありました。
でも今は、これまでの選択は間違っていなかったと思えます。
ダン・アリエリーさんの本、予想どおりに不合理を読んだからです。
Contents
夫との死別は私には突然過ぎてなかなか受け入れることができませんでした。
夫がいなくなってしまったことも受け入れがたかったし、シングルとなってしまった自分の社会的な立場の弱さも納得がいきませんでした。
今までしてきたいろんな選択がすべて間違いだったように思えました。
仕事とプライベートのバランスのとり方、職業生活上でしてきた大きな決断が間違っていたと思いました。
結婚したこと自体が間違いだったのではないかとも思っていました。
結婚式の日に戻れるなら、全力で結婚を阻止したい
そう思っていた時期があります。
自分が不幸なのか不幸じゃないのか、ということについてもよく考えていました。
夫との死別は不幸なできごとです。でも死別以外の私の人生は不幸なのか、そうじゃないのか。
夫との死別という不幸は幸せな時間があったことの裏返しではないのか。
結婚をしないでひとりで生きていけば夫との死別というつらい目にあうことはありません。でも、結婚しないでひとりで生きていくことは私にとってしあわせなのか、しあわせじゃないのか。
今は、ひとりで生きていくことは、私にとってはしあわせではなかっただろうと思います。
行動経済学教授のダン・アリエリーさんの書いた本、予想どおりに不合理を読みました。この本、とても面白いです。
この本のダン・アリエリーさんの説明によると、人は物事を相対的に判断する傾向が強く、相対的に比較できないもののどちらがいいかを判断するのは苦手で、簡単に比較できるものから選ぶそうです。
たとえば、
ローマへの旅行とパリへの旅行どちらに行きたい?
と聞いた時と
コーヒー付きのローマ、コーヒー無しのローマ、パリのどれがいい?
と聞いたときでは、三択のうちのコーヒー付きのローマの人気ががぜん上がるそうです。
コーヒー付きのローマとコーヒー無しのローマというとても似てるけどちょっと違うというものだととても判断しやすいので、いい方のコーヒー付きのローマが急に良く見えてくるそうです。
これを読んで私が考えていた、
結婚して夫に突然死される人生と、結婚せずにひとりで生きていく人生と、どちらがしあわせだったのか?
ということを判断するのは、絶対無理と思いました。
全然違うものなので、比較ができないからです。
私が結婚しようと思ったとき、
信頼できそうに見える黒部君(夫)と結婚して、仕事を続けて子供も産んで、だいぶ大変そうな、でもたぶん楽しいこともたくさんある生活
と、
女性が少ない職場だけど自分のためだけに使える時間でキャリアアップと充実した毎日をめざす生活
このふたつを検討するというような、難しい選択をしたわけではありません。
結婚したい?したくない? → できれば結婚したい!
じゃあ、誰と結婚したい? → 黒部君と一緒になるのがいちばん楽しそう!
こういう簡単な選択をしたのです。
でもその後どうなるかわからない状態でしたふたつの選択は、夫との死別後の今から見ても、とてもまっとうな、当たり前の選択に見えます。
その後毎日の結婚生活の中で、いろいろな選択をして今の結果があるわけです。今の状態が満足だと思えなくてもそのときどきでベストの選択をしてきているのだと思います。
だから、今の状態は取り得る選択の中でベストの結果なのだと思います。
今までの選択は間違っていない、これが私のベストだ
と思います。この私のベストをもっといいものにしていきたいと思います。
ここを読んでくださってる方も、
何か間違えてしまった
と思っている方がいらっしゃるかもしれません。
でも、きっとそんなことはありません。
皆さんそのときどきで、ベストの選択をされているのだと思います!
ドラマ「俺の家の話」の最終回を観て、ダメージを受けてしまいました。
ドラマ「俺の家の話」第10話のネタバレがあります。
Contents
ドラマ「俺の家の話」は芸能界を引退する長瀬智也さんの最後のドラマです。宮藤官九郎さんが脚本です。
主人公寿一は能楽師の人間国宝を父に持ち、自分はブリザード寿というプロレスラーでしたが父親が倒れたことを機に実家に帰り、父親の介護に立ち向かうという話でした。
このドラマで長瀬智也さんを見ながら、
長瀬くんかっこいいなぁー、声もいいなぁー。
長瀬くんが見れなくなるのは残念だなー。
なんて思っていました。プロレスのシーンもきれいなのです。
寿一の父親役の西田敏行さんも声がとても良くて、さすが西田(さん)だなあと思って楽しく見ていました。
それが最終回では途中から、何だか変だなぁ、という感じになって行きます。
最終回では寿一がひとりだけアイスクリームをもらえなかったり、寿一が「俺、さくらさんと結婚しようと思う。」と言っている動画をさくらがスマホで見ているシーンが流れます。なんか変だな、と思っているとその後、 寿一がプロレスの試合の後に亡くなったことがわかるシーンになります。
寿一が病院に運ばれたあとの霊安室でさくらは寿一に対面します。私も夫が亡くなったとき病院の霊安室に行きましたが、霊安室のことは思い出したくないです。
このシーンは見たくなかったと思います。
寿一の父親が寿一に向かって
国の宝にはなれなかったけど、おまえは観山家の人間家宝だ。
というシーンがあります。
寿一が家族の中で存在や役割として、どれだけ大事で、どれだけ素敵な人かが思い返される言葉です。
ここを見てくださっている、大事な方を亡くされた人のその大切な方も、
この寿一と同じように本当に大切で、本当に必要で、本当に素敵な人なのだろうと思うシーンです。
亡くなった方はそれぞれのご家庭での人間家宝ですよね。
そんな大事な方を亡くして、辛い思いをしている方が私以外にもどれだけいるのだろうと思うと、本当に苦しくなります。
ドラマの寿一が亡くなるかもという予想は事前にヤフーニュースで読んでいました。
でも予想を読んだときは、本当の結末がネタバレになるのにネットに出てるわけないしと思ってあまり気にとめませんでした。
クドカンは笑える結末にしてくれるだろうとも思っていました。
なので結末を知ってしまって気持ちが落ち込んでいます。
私は夫と死別後でも最近は割と元気に過ごしてきましたが、今日はちょっと息が苦しいです。
予想していなかった死別というものを見て、ドラマとはいえダメージを受けているのだと思います。
ドラマの中で寿一がいつもいた場所が、誰もいない場所になっているのも辛かったです。
このようなドラマは死別体験者には辛いので、事前にテロップを出して警告してほしいと思います。
このあと、津波の映像が流れます。
とテロップが出ます。あれと同じように、寿一が亡くなったことがわかるシーンの前に、
このあと、死別の映像が流れます。
と警告テロップを出して欲しいと思います。
そうすれば、そのまま見るかどうか決められるし、直前のシーンならネタバレにならなくて死別のシーンが全然大丈夫な人もドラマを楽しめるのではないかと思います。
みなさん、そう思いませんか?
夫との死別直後、1日1日をなんとか終えるのに精一杯でした。
タイトルの言葉はその頃自分に言い聞かせていた言葉です。
そうやって過ごしているうちに今は元気になって、もっといろんなことができるようになりましたよ。
Contents
死別直後からの3ヶ月ぐらいは、本当に1日1日を終えるのに精一杯でした。
朝目覚めるとまず毎日、
峰雄さんはもういないのだ、あと40年もひとりぼっちで生きていけない。
と思って、重たく暗い気持ちになりました。
食事はとれていたので簡単に作れるものを食べて仕事に行っていましたが、その時期の記憶があまりありません。
その時期にやらなくてはならない夫の供養、相続の事務作業をして、あとはしょっちゅう泣いていて、つらい、つらい、つらいと心の中でつぶやいていた気がします。
仕事に行っても他の人と話ができなかった気がします。何が涙腺を刺激するのか分からなくて人と話すことができませんでした。
職場の人達が世間話をしているのを遠くから聞いて、世の中の人達は世間話をして普通に生きているのだと思って、とてもうらやましく、とても新鮮に感じたことを覚えています。
職場の同僚とは同じ空間、同じ部屋にいるのに、別の世界にいるような気がしました。
1枚薄いベールで隔てられているような、音がボワーンと聞こえるような、現実感のない感じでした。
そんな状態だったのでその時は、最低限のことだけできればそれでOKということにしました。
何でもいいからご飯を食べて、部屋は散らかっててもいいから生ごみだけは捨てて、泣いててもいいから仕事に行ければそれでOKです。
実際にはそんなわけにはいかない場合もあると思います。
接客業であれば涙で目を腫らしているいるわけにはいかないでしょうし、仕事には締め切りやノルマがありますし、食事だって食欲がなくなってあまり食べれないかもしれません。
なので、最低限と言いますか、ぎりぎり合格点かそれに足りない、ちょっと惜しい少し残念程度でもいいのではないでしょうか。今だけはね。
そう思っていても、人には言わないほうがいいですけどね。
大切な人を亡くしたあと、その大きなマイナスを取り返そうとして、無意識のうちに頑張ってしまうことがあると思います。大切な人を亡くすというのは非常事態なので、頑張り過ぎてしまっているかもしれません。
頑張ることは悪いことではないですが、でも、今じゃない、と思います。
元気になったあと、力を出し切ればいいと思います。
なので大事な方との死別直後の方にこの言葉を贈ります。
ご飯を食べて、生ごみ捨てて、仕事に行ければそれで良し!