夫との死別後、からだと気持ちが重いのはなぜ?
夫との死別後、からだも気持ちも重いです。
どうしてでしょう?
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夫、という推進力を失った
あまり意識していませんでしたが、夫にはいろいろ支えられていたのだと、改めて思います。
今まで夫がいてくれて、
応援してくれて
手助けしてくれて
知らないことを教えてくれて
私ができないことをやってくれて
夫が喜ぶと思えばめんどくさくてもいろいろやりきれた
そんなことが毎日の力になってやってきたのに、それがいきなり無くなった。
それはいろいろやりにくくて当然ですよね。
動く歩道ってありますよね。
大きい駅とかにあって、人が乗るベルトコンベア状態のもの。
大きい荷物があるときや、疲れているときには便利ですよね。
動く歩道の上では、歩道の推進力に乗って歩いているので、
それが終わったあと、普通の場所を歩くと
体が重く感じられる。
夫を亡くして、体や気持ちが重く、いろいろなことがやりにくい今の状況は、
夫からの推進量を失って、からだと気持ちが重い、
同じ様な状態だと思います。
バランスがおかしくなった
もうひとつ、たとえを。
たくさんの洗濯物がぶら下がったピンチハンガー。
いちばん大きくて重そうな洗濯物が、急にバーンとはずれました。
ほかの洗濯物がぶら下がっているままのピンチハンガーが、大きく斜めになっています。
バランスが取れなくなったからです。
これも今の私です。
毎日の中で夫が占めていた、時間、空間、楽しさの、大きな部分が無くなって、バランスがおかしくなっているのです。
歩く力はあるはず バランスはとれるはず
でも、動く歩道を使わなくても、
もともと歩く力はあるはずです。
動きは今までより遅くなっているかもしれません。
でも自分で進んで行けるでしょう。
バランスもとれるようになるでしょう。
いろいろ変えて、試して行けば。
だいじょぶ、だいじょぶ。
ゆっくりだけどね。
きっと、大丈夫。
ひとりでも、歩いて行こう。
※動く歩道を歩いていいか、ダメかは両方意見があるようですが、ここではその是非は問いません。
「歩道なんだから、歩くだろー。」、
「動く歩道じゃなくて、歩く歩道だと思ってたー。」
のような意見があるようですよ。