未亡人チカの自活ダイアリー

立ち直りための情報と記録で、同じ死別シングルの方を応援するブログです。

立ち直る人は「生きる意味」を深く考えない

最近、ダン・アリエリーさんの本をよく読んでいます。

 

お金を使うときの心の痛みとか、みんなちょっとずつズルをするとか、面白いです。

 

ダン・アリエリーさんの動画もときどき見るのですが、今回はその中から他の人との対談中に出てきたお話を紹介します。

 

 

 Contents

 

ダン・アリエリーさんは行動経済学の学者

ダン・アリエリーさんは心理学、行動経済学の教授です。

本も何冊かあって、内容は人間は不合理だというものです。

 

前に書いた記事でも少し紹介しました。この記事です。

今までの選択は間違っていない - 未亡人チカの自活ダイアリー

 

TEDでもいくつか話していて、やっぱりおもしろいです。

 

ダン・アリエリーさんも大変な経験をしている

TEDで話しているのを見ると、ダン・アリエリーさんはとても楽しそうな人なのですが、若いころ大変なやけどをして入院を経験しています。からだの70%以上がⅢ度熱傷となったそうです。その上、やけどの治療の輸血のためC型肝炎になって、その治療でも大変な目にあっています。

 

いろんな本にダン・アリエリーさんがやけどで入院中のやけどにくっついている包帯を看護師さんがはがすはがし方についての話がでてきます。

ダン・アリエリーさんが人間の不合理について考えるきっかけになったできごとなのですが、想像しただけで強烈に痛そうです。

 

まだやけどの後遺症があるそうですし、顔の右側はやけどでひげが生えていません。

左側だけひげを生やした状態で講演している動画もあります。

 

「生きる意味」より「日常の困難」

そのダン・アリエリーさんが、歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリさんと対談している動画をご紹介します。

 

先に言うと、この動画は他のところはあんまり面白くありません。5分12秒あたりから見れば大丈夫です。

 

www.youtube.com

 

この対談の中で、ダン・アリエリーさんは四肢マヒの障害者と関わった時の体験を語っています。

 

四肢マヒの障害者で諦めてしまう患者と諦めない患者、何が違うかというと、

 

諦めない患者は「生きる意味」について深く考えない

 

と言っています。

こうも言っています。

 

彼らは日常の困難に頭を使う

「生きる意味」などという大問題よりも「日常の困難」のほうが取っつきやすい

 

その困難というものの例が大変だなあと思うのが、四肢マヒの人が床に置いてある服を45分かけて着るというのです。

 

45分以下で服が着れると達成感を感じ、45分を超えるともっと上達しようと思う

 

これってすごくないですか?

昔は簡単にできていたことが簡単にはできなくなった。

でも上達しようとしている。

 

私なら何度かんしゃくを起こせばそういう心境になれるのかわかりません。

 

この動画を見て、 「生きる意味」というものを考えるのは止めようと思いました。

普段ときどきこのことばがぽっと浮かんでくるのです。

でもこれからはそういう時は、「自分の日常の困難」について考えようと思います。

 

きっと、

45分以内で方向が見つけられそうな「日常の困難」がたくさんあると思います。

その困難に対応すれば、もっと立ち直れそう!と思います。

 

 

ダン・アリエリーさんの本です。

この本も面白いです。環境を変えることの大事さがわかります。

 


お金と感情と意思決定の白熱教室: 楽しい行動経済学

ひとりぼっちの部屋で小鳥を飼いたい

夫との死別後、いつも夫と暮らしていた部屋でひとりぼっちになってしまってとてもつらかったです。

 

ペットを飼って寂しさを和らげられたらと思ってます。

 

 

 

 Contents

 

ひとりぼっちの部屋で生きているものが欲しい

夫がいたときは普段同じ部屋で過ごしていました。一緒にテレビを見たり、それぞれが違うことをしたりして、普通に暮らしていました。

それが夫がいなくなってしまって、

ガランとした部屋でひとりで過ごすことになりました。

 

ひとりだと静かすぎるのでテレビをつけると、今度はテレビの内容が元気すぎて、かえって疲れるかんじでした。

 

部屋にひとりでいるのになかなか慣れることができなくて、

何か生きているものにいて欲しいな、ペットが欲しいなと思うようになりました。

 

切実に、何か生きているものに身近にいて欲しかったのです。

 

テレビドラマで見たセキセイインコがきれい

ペットが欲しいなと思っていましたが、犬や猫はまず無理だと思いました。

自分が夫との死別から立ち直っておらず体調がいまいちなときも多いのに、飼ったこともない犬の散歩や、猫の世話は絶対無理でした。

 

そうこうしているうちに、テレビドラマでセキセイインコが出ているのを見ました。

 黄色とブルーのセキセイインコでしたが、とってもきれいでした。

 

もともと鳥は足がちょっと苦手だったのですが、

セキセイインコ飼いたいな、きれいでかわいいし、しゃべったり歌ったりするの楽しそう

と思いました。

 

しゃべる鳥を飼うのは大変?

それで本を買って勉強してみました。

この本です。


とりほん 飼い鳥のほんねがわかる本

 

 鳥、かわいいですね。

でも、結構しゃべるんですね。

飼い主にかまって欲しくて、結構大声で呼ぶという。。

ちょっとこれは厳しそうだな、と思います。

 

普段何気なく話していることを覚えて話されても、ちょっと困りますね。

静かにしてほしいときに、黙ってもらえないんですよね。

 

ということで、じゃあ、文鳥はどうなの?

と思っているところです。

 

文鳥もかわいいですよね。

 

でも、文鳥もしっかり相手をしてあげないと寂しがってだめみたいです。

鳥はもともと集団行動なので、1羽だけ飼ってあまり相手ができないと具合が悪くなってしまうそうです。

 

自分が寂しいから鳥を飼っておいて、でも相手ができないのでは自分の寂しさを鳥に押し付けてるということになりますね。

 

仕事が忙しい時もあるのでそんなに相手ができないかもしれないなぁ。

 

しょうがないから今はyoutubeや、職場の窓のそばの木に飛んでくる鳥を眺めて楽しんでいます。

 

なんとか工夫して、文鳥が飼えるようになりたいな。

 

今までの選択は間違っていない

夫が急死してしまった後、どうしてこんなことになったのか、何か間違えたのかと考えることがよくありました。

 

でも今は、これまでの選択は間違っていなかったと思えます。

 

ダン・アリエリーさんの本、予想どおりに不合理を読んだからです。

 

 

 Contents

 

何か間違えたのかと考える日々

夫との死別は私には突然過ぎてなかなか受け入れることができませんでした。

夫がいなくなってしまったことも受け入れがたかったし、シングルとなってしまった自分の社会的な立場の弱さも納得がいきませんでした。

 

今までしてきたいろんな選択がすべて間違いだったように思えました。

仕事とプライベートのバランスのとり方、職業生活上でしてきた大きな決断が間違っていたと思いました。

 

結婚したこと自体が間違いだったのではないかとも思っていました。

 

結婚式の日に戻れるなら、全力で結婚を阻止したい

 

そう思っていた時期があります。

 

自分は不幸なのか不幸じゃないのか

自分が不幸なのか不幸じゃないのか、ということについてもよく考えていました。

夫との死別は不幸なできごとです。でも死別以外の私の人生は不幸なのか、そうじゃないのか。

夫との死別という不幸は幸せな時間があったことの裏返しではないのか。

結婚をしないでひとりで生きていけば夫との死別というつらい目にあうことはありません。でも、結婚しないでひとりで生きていくことは私にとってしあわせなのか、しあわせじゃないのか。

 

今は、ひとりで生きていくことは、私にとってはしあわせではなかっただろうと思います。

 

人は物事を相対的に判断する

 行動経済学教授のダン・アリエリーさんの書いた本、予想どおりに不合理を読みました。この本、とても面白いです。

 


予想どおりに不合理  行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」

 

この本のダン・アリエリーさんの説明によると、人は物事を相対的に判断する傾向が強く、相対的に比較できないもののどちらがいいかを判断するのは苦手で、簡単に比較できるものから選ぶそうです。

 

たとえば、

ローマへの旅行とパリへの旅行どちらに行きたい?

と聞いた時と

コーヒー付きのローマ、コーヒー無しのローマ、パリのどれがいい?

と聞いたときでは、三択のうちのコーヒー付きのローマの人気ががぜん上がるそうです。

コーヒー付きのローマとコーヒー無しのローマというとても似てるけどちょっと違うというものだととても判断しやすいので、いい方のコーヒー付きのローマが急に良く見えてくるそうです。

 

これを読んで私が考えていた、

結婚して夫に突然死される人生と、結婚せずにひとりで生きていく人生と、どちらがしあわせだったのか?

ということを判断するのは、絶対無理と思いました。

全然違うものなので、比較ができないからです。

 

今までの選択は間違っていない

私が結婚しようと思ったとき、

 

信頼できそうに見える黒部君(夫)と結婚して、仕事を続けて子供も産んで、だいぶ大変そうな、でもたぶん楽しいこともたくさんある生活

と、

女性が少ない職場だけど自分のためだけに使える時間でキャリアアップと充実した毎日をめざす生活

 

このふたつを検討するというような、難しい選択をしたわけではありません。

 

結婚したい?したくない? → できれば結婚したい!

じゃあ、誰と結婚したい? → 黒部君と一緒になるのがいちばん楽しそう!

 

こういう簡単な選択をしたのです。

でもその後どうなるかわからない状態でしたふたつの選択は、夫との死別後の今から見ても、とてもまっとうな、当たり前の選択に見えます。

 

その後毎日の結婚生活の中で、いろいろな選択をして今の結果があるわけです。今の状態が満足だと思えなくてもそのときどきでベストの選択をしてきているのだと思います。

だから、今の状態は取り得る選択の中でベストの結果なのだと思います。

 

今までの選択は間違っていない、これが私のベストだ

 

と思います。この私のベストをもっといいものにしていきたいと思います。

 

ここを読んでくださってる方も、

何か間違えてしまった

と思っている方がいらっしゃるかもしれません。

 

でも、きっとそんなことはありません。

皆さんそのときどきで、ベストの選択をされているのだと思います!

 

ドラマを見てダメージを受けました

ドラマ「俺の家の話」の最終回を観て、ダメージを受けてしまいました。

 

ドラマ「俺の家の話」第10話のネタバレがあります。

 

 

 Contents

 

ドラマ「俺の家の話」は長瀬智也さんの最後のドラマ

ドラマ「俺の家の話」は芸能界を引退する長瀬智也さんの最後のドラマです。宮藤官九郎さんが脚本です。

主人公寿一は能楽師人間国宝を父に持ち、自分はブリザード寿というプロレスラーでしたが父親が倒れたことを機に実家に帰り、父親の介護に立ち向かうという話でした。

 

このドラマで長瀬智也さんを見ながら、

長瀬くんかっこいいなぁー、声もいいなぁー。

長瀬くんが見れなくなるのは残念だなー。

なんて思っていました。プロレスのシーンもきれいなのです。

寿一の父親役の西田敏行さんも声がとても良くて、さすが西田(さん)だなあと思って楽しく見ていました。

それが最終回では途中から、何だか変だなぁ、という感じになって行きます。

 


俺の家の話

大切な人がいきなりいなくなる衝撃

最終回では寿一がひとりだけアイスクリームをもらえなかったり、寿一が「俺、さくらさんと結婚しようと思う。」と言っている動画をさくらがスマホで見ているシーンが流れます。なんか変だな、と思っているとその後、 寿一がプロレスの試合の後に亡くなったことがわかるシーンになります。

 

寿一が病院に運ばれたあとの霊安室でさくらは寿一に対面します。私も夫が亡くなったとき病院の霊安室に行きましたが、霊安室のことは思い出したくないです。

このシーンは見たくなかったと思います。

 

寿一の父親が寿一に向かって

国の宝にはなれなかったけど、おまえは観山家の人間家宝だ。

というシーンがあります。

寿一が家族の中で存在や役割として、どれだけ大事で、どれだけ素敵な人かが思い返される言葉です。

 

ここを見てくださっている、大事な方を亡くされた人のその大切な方も、

この寿一と同じように本当に大切で、本当に必要で、本当に素敵な人なのだろうと思うシーンです。

亡くなった方はそれぞれのご家庭での人間家宝ですよね。

 

そんな大事な方を亡くして、辛い思いをしている方が私以外にもどれだけいるのだろうと思うと、本当に苦しくなります。

 

警告を出して欲しい

ドラマの寿一が亡くなるかもという予想は事前にヤフーニュースで読んでいました。

でも予想を読んだときは、本当の結末がネタバレになるのにネットに出てるわけないしと思ってあまり気にとめませんでした。

クドカンは笑える結末にしてくれるだろうとも思っていました。

なので結末を知ってしまって気持ちが落ち込んでいます。

 

私は夫と死別後でも最近は割と元気に過ごしてきましたが、今日はちょっと息が苦しいです。

予想していなかった死別というものを見て、ドラマとはいえダメージを受けているのだと思います。

ドラマの中で寿一がいつもいた場所が、誰もいない場所になっているのも辛かったです。

 

このようなドラマは死別体験者には辛いので、事前にテロップを出して警告してほしいと思います。

 

ニュースで東日本大震災津波の映像が流れる前に、

 

このあと、津波の映像が流れます。

 

とテロップが出ます。あれと同じように、寿一が亡くなったことがわかるシーンの前に、

 

このあと、死別の映像が流れます。

 

と警告テロップを出して欲しいと思います。

そうすれば、そのまま見るかどうか決められるし、直前のシーンならネタバレにならなくて死別のシーンが全然大丈夫な人もドラマを楽しめるのではないかと思います。

みなさん、そう思いませんか?

 

ご飯を食べて、生ごみ捨てて、仕事に行ければそれで良し

 夫との死別直後、1日1日をなんとか終えるのに精一杯でした。

 

タイトルの言葉はその頃自分に言い聞かせていた言葉です。

そうやって過ごしているうちに今は元気になって、もっといろんなことができるようになりましたよ。

 

 

 Contents

 

死別直後は1日を終えるのに精一杯

死別直後からの3ヶ月ぐらいは、本当に1日1日を終えるのに精一杯でした。

朝目覚めるとまず毎日、

峰雄さんはもういないのだ、あと40年もひとりぼっちで生きていけない。

と思って、重たく暗い気持ちになりました。

食事はとれていたので簡単に作れるものを食べて仕事に行っていましたが、その時期の記憶があまりありません。

その時期にやらなくてはならない夫の供養、相続の事務作業をして、あとはしょっちゅう泣いていて、つらい、つらい、つらいと心の中でつぶやいていた気がします。

 

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他の人と同じ空間にいるのに別の世界にいるみたい

仕事に行っても他の人と話ができなかった気がします。何が涙腺を刺激するのか分からなくて人と話すことができませんでした。

 

職場の人達が世間話をしているのを遠くから聞いて、世の中の人達は世間話をして普通に生きているのだと思って、とてもうらやましく、とても新鮮に感じたことを覚えています。

 

職場の同僚とは同じ空間、同じ部屋にいるのに、別の世界にいるような気がしました。

1枚薄いベールで隔てられているような、音がボワーンと聞こえるような、現実感のない感じでした。

 

最低限のことだけできればそれでOK

そんな状態だったのでその時は、最低限のことだけできればそれでOKということにしました。

何でもいいからご飯を食べて、部屋は散らかっててもいいから生ごみだけは捨てて、泣いててもいいから仕事に行ければそれでOKです。

 

実際にはそんなわけにはいかない場合もあると思います。

接客業であれば涙で目を腫らしているいるわけにはいかないでしょうし、仕事には締め切りやノルマがありますし、食事だって食欲がなくなってあまり食べれないかもしれません。

なので、最低限と言いますか、ぎりぎり合格点かそれに足りない、ちょっと惜しい少し残念程度でもいいのではないでしょうか。今だけはね。

そう思っていても、人には言わないほうがいいですけどね。

 

大切な人を亡くしたあと、その大きなマイナスを取り返そうとして、無意識のうちに頑張ってしまうことがあると思います。大切な人を亡くすというのは非常事態なので、頑張り過ぎてしまっているかもしれません。

頑張ることは悪いことではないですが、でも、今じゃない、と思います。

元気になったあと、力を出し切ればいいと思います。

 

なので大事な方との死別直後の方にこの言葉を贈ります。

ご飯を食べて、生ごみ捨てて、仕事に行ければそれで良し!

 

インパクトバイアス?幸せも不幸せも思ったほどじゃないらしい

大切な人とお別れをした後、とても悲しくて苦しいですよね。

こんなに不幸になるなんて想像していませんでした。

 

でも人間は自分の不幸がどれほど続くのか、過大に見積もるくせがあるというのです。

そのことをインパクトバイアスと言います。

 

 

 Contents

インパクトバイアスとは

インパクトバイアスとは、アメリカの心理学者のダニエル・ギルバートさんが主張したものです。不幸な出来事に遭うことを想像したとき、人は実際に感じるよりももっと不幸になるだろうと見積もるというものです。

不幸だけでなく幸せも、いいことが起こったときには実際に感じるよりももっと幸せだろうと予想するのです。 

 


ダニエル・ギルバート「私たちが幸せを感じる理由」1

 

例えば事故で下半身不随になると、人は不幸な時期が長く続くと思っていますが、実際にそうなってしまった場合、そうなってしまった直後はショックを受けているのですが、1年後にはそれほど不幸には感じておらず、わりと普通に戻るらしいのです。

 

また幸せの例では、高額の宝くじに当たった人は1年後には宝くじにあたったことをそれほど幸せなことだとは思っていないそうです。

 

不幸なできごとから1年後には普通に戻れるものなのでしょうか。

大事な人との死別からたった1年で回復できるとは思えませんが、回復の時期は予想よりは早いのでしょうね。

心理的免疫システム

インパクトバイアスについて主張した、ダニエル・ギルバートさんは心理的免疫システムというものも提唱しています。

人はひどい出来事が起こったときそのショックから自分を守るために、起こった出来事からポジティブな面を見つけるというものです。

これは無意識のうちに行われます。

この心理的免疫システムが興味深いのは、この心理的免疫システムは起こったできごとが心理面の健康にとって深刻な脅威のときのみ働くということです。

ちょっと頭に来るとか、なんとか我慢できるぐらいの悲しみでは心理的免疫システムは動き出さないのです。

人間は深刻な事態のときのみ心理的免疫システムが働いて、不幸に思える出来事に対して貴重な経験をした、意味のある経験をしたと考え始めるのだそうです。

  

私は夫と死別したことについて愚痴っぽかったり割り切れない気持ちのときがあるのですが、これは心理的免疫システムが動き出すほどのことではなかったということになるでしょうか。

 

人は行動しなかったことを後悔する

ダニエル・ギルバートさんの本によると、人はしたことの後悔よりも、しなかったことの後悔の方を強く感じるそうです。

人は、やったことの結果が満足できないものになるならやらない方がいいと考えがちですが、実際はそうではなくて、行動しないことを一番後悔するのだそうです。

 

ダニエル・ギルバートさんのTEDを見たり本を読んでいると、ところどころ反論したくなることもあるのですが、回復までの時間は予想より短そうなことがわかってちょっと安心します。

行動はしたほうがいいこと、選択はできない方が幸せな場合があることなども本に書かれていて興味深いです。

 

ダニエル・ギルバートさんの本です。  


明日の幸せを科学する

人間の生きた痕跡

ドラマ「監察医 朝顔 の中で、亡くなった人の痕跡がいろんなところに残っていて、遺された人にはそれが辛いというセリフがありました。

 

本当にその通りだと思います。

ドラマ「監察医 朝顔」の、いちシーンのセリフをご紹介します。

 

ドラマ「監察医 朝顔」第18話の一部ネタバレがあります。

 

 

 Contents

 

ドラマ「監察医 朝顔」とは

ドラマ「監察医 朝顔」はフジテレビ月9枠で放送されているドラマです。上野樹里さんが主演で、監察医の朝顔がご遺体を調べて、どうして亡くなったかを解明していくお話です。

朝顔のお父さんは刑事で、時任三郎さんが演じています。

原作は漫画だそうですが、原作とドラマはだいぶ雰囲気が違っているようですね。

 


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「監察医 朝顔」第18話 松本教授(片桐はいりさん)のことば

「亡くなった人の痕跡~」の言葉は、片桐はいりさん演ずる松本教授の言葉です。

松本教授のアシスタントをしていた女性が亡くなり、その亡くなったときの状況について朝顔が、

その方は自分がいなくなったあとに松本教授がその方のことを思い出して辛くならないようにある行動をしたのかもしれない

と言ったのを受けての言葉です。

ちょっと長いですけど書きますね。松本教授は次のようにこたえます。

 

ほんとに浅はかです。
そんな心遣い何だっていうんですか。
人間はそんな簡単なものじゃないんです。
人間はほんのささやかなことでも自分にとって 大切な人のことを関連付けて思い出せる生き物です。
その人が来たことがあるだけで自宅に帰るのが辛くなる。
その人と一緒に食べたものを食べればその日の光景をありありと思い出す。
その人と歩いた道を歩けばしゃがみ込んで歩けなくなる。
何てことないものにも全て人間の生きた痕跡が残っているんです。
残された人間はそういった痕跡と生きていかなければならない。
それは 時に幸せでもあるし今の私には 辛いことです。

 

この言葉を片桐はいりさんが切々と語るのです。

ほんとにそうですよね。その人が来たことがあるだけでつらいと松本教授は言っているのに、一緒に暮らしていた人が亡くなった場合は、いったいどうしたらいいのでしょう。

 

その人が来たことがあるだけで~と言っているところでは、画面は松本教授のお部屋のきれいなコーヒーカップやスリッパの映像になっていましたね。

教授とアシスタントというのはもっとビジネスライクなもので、仕事だけのつきあいなのかなと思いますが、ドラマでの松本教授とアシスタントというのは親しいお付き合いをしていたのですね。

 

この松本教授の言葉、自分が死別を経験していなければ特に気にとめなかったかもしれません。

 

大事な方との死別を経験された方も、少し時間がたてば周りの人からもう立ち直ったと思われて、いろいろなことを言われることがあるでしょう。

そんなときにこの松本教授の言葉を教えてあげればどのような状態でいるのかを分かってもらえるのではないでしょうか。

 

わが家の痕跡

私の家にも亡くなった夫の痕跡がたくさんあります。

子供が就職して初めてのお給料で夫と私にきれいなコーヒーカップをペアで買ってくれました。お休みの日には夫がコーヒーを入れてくれるので、

おいしいコーヒーが、きれいなカップで飲むとますますおいしいね。

なんて言っていたのです。ドラマを見ていて思い出しました。

今はそのコーヒーカップを出すことができません。

他にも本、服、腕時計、楽器、亡くなった夫の痕跡だらけです。

 

ここを読んでくださっている方も、大事な方を亡くされてその方を思い出させるものを見て、辛い思いをされているかもしれません。

なるべく早く、その辛さが和らぎますように。

楽しかった記憶として思い出せる日が早く来ますように。